ご挨拶
当社は緑と湖の豊かな自然に恵まれた長野県岡谷市に本社を置き、大正九年から建設業として県内一円に多くの建築・土木工事を手がけ、令和二年には皆様のおかげで創業100周年を迎えることができました。
創業者野口誧一の処世訓「仕事は和を以って良く、安く、速く」そしてまじめにをモットーに施工技術の研鑚と安全確保に努め健全な経営知念をもとに、常に明るく豊かな地域社会の発展に奉仕することを念頭に取り組んでおります。
昨今の高度化する社会と多様化する時代に対応するため、伝統ある技術と新しい工法を駆使して、大きな飛躍と地域社会の一層の発展に寄与できるよう、全社員が一体となって発注者様のご期待に応えるべく日々努めております。
今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
創業者野口誧一の処世訓「仕事は和を以って良く、安く、速く」そしてまじめにをモットーに施工技術の研鑚と安全確保に努め健全な経営知念をもとに、常に明るく豊かな地域社会の発展に奉仕することを念頭に取り組んでおります。
昨今の高度化する社会と多様化する時代に対応するため、伝統ある技術と新しい工法を駆使して、大きな飛躍と地域社会の一層の発展に寄与できるよう、全社員が一体となって発注者様のご期待に応えるべく日々努めております。
今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
代表取締役 野口 行敏
会社沿革
明治44年 4月~ 大正 9年 6月 | 創業者野口誧一松本市の土建業野口組に勤務 |
大正 9年 7月 | 野口誧一平野村上浜(現岡谷市)にて土木建築請負業および製材業岡谷組を創業。 諏訪地方初めての鉄筋コンクリート造(3階建)による諏訪蚕糸学校(現岡谷工業高校)を建設。 |
大正13年 9月 | 県立長野図書館を建設、同時に長野営業所を開設する。 |
昭和 7年 1月 | 天竜川上流改良に伴う釜口水門工事(ストニー式構造)に着手し掘削工事用としてアメリカより機関車2車購入しトロッコけん引により往時の機械化の先端を成し昭和11年3月完成する。 |
昭和10年 6月 | 尾沢福太郎翁全額寄贈により岡谷市庁舎を建設。 |
昭和22年 3月 | 法人に改組社名改称し株式会社岡谷組設立。 資本金18万円とし、取締役社長に野口誧一就任する。 |
昭和22年 3月 | 東京営業所を東京都新宿区東大久保2-184番地に開設する。 |
昭和22年10月 | 総合建設業者として最初の建設大臣登録ヨ-51を取得する。 |
昭和23年10月 | 平和博覧会(長野市)国際館を建設。 |
昭和36年 1月 | 野口誧一社長が会長に就任、野口 甫取締役が社長に就任する。 |
昭和48年 9月 | 建設業法改正により最初の建設大臣許可特定建設業第1760号を取得する。 |
昭和50年 4月 | 現所在地に鉄骨造3階建の本社ビルが竣工する。 |
昭和54年10月 | 創業60周年記念式典を挙行する。 |
昭和60年 3月 | 社団法人日本土木工業協会に加入する。 |
昭和61年 6月 | 社団法人日本ダム協会に加入する。 |
平成11年 1月 | 野口 甫社長が会長に就任、野口行敏取締役が社長に就任する。 |
平成12年 3月 | ISO9001を認証取得。 |
平成12年 4月 | 鉄骨造5階建の本社ビルが竣工する。 |
平成12年 6月 | 創業80周年記念式典を挙行する。 |
平成18年 4月 | 安曇野営業所を安曇野市に開設する。 |
平成19年12月 | 宅地建物取引業者 免許取得 |
平成21年12月 | 国土交通省関東地方整備局より「災害時の基礎的事業継続力」の認定業者となりました。 |
平成22年 7月 | 創業90周年を迎える。 |
平成29年 4月 | 山梨支店を山梨県中央市若宮に開設する。 |
令和 2年 7月 | 創業100周年を迎える。 |